「今日こそは上手く出来た気だけするの! さぁさぁ味見して!」 毎日毎日懲りもせずに、朝っぱらからまずそうな卵スープを片手にやって来る彼女。 つくづく自分もやっかいな人を好きになってしまったのだと思い、ため息をついた。 卵スープ 彼女が毎日同じ行動をくり返すようになるのは、十日ほど前からだ。 いきなり自分の目の前に、卵スープを突きだして。彼女の言ったセリフはこうだ。 「私、これから卵スープを極めることにしたの! と、いう訳で料理にかけては右に出ないと自負しているピエール君に協力してもらいたいんだけど」 まったく脈絡のない話に、何故卵スープを、そもそも何故いきなりそんな事をするのか問えば、 「う〜ん、ほら、私って料理下手でしょ? だけどね、えっと、女の子としては好きな人に『君の料理はおいしいね』くらい言って欲しいじゃない! 卵スープなのは、材料の卵がいっぱいあるし、簡単そうだから」 いつもの眩しいばかりの笑顔と、ほんの少しとろけた表情。 ああそうか、これが恋する乙女の顔というやつなのだろう。 確かに、正直彼女は料理が上手くない。 そして、彼女は牧場をやっているから卵がたくさんあるのも分かるし、卵スープが簡単な料理だというのも分かる。 しかしいくら知らないとは言え、彼女の事が好きな自分に、他の男を喜ばせる手伝いをさせるとは、はあ。 ため息をつきたくなったが、ぐっと堪えてそれを飲み込んだ。 真っ直ぐすぎて少し危ない、だけど天真爛漫、その言葉が似合う彼女に惹かれ。 そんな彼女に頼られるのは、いつも嬉しかった。 だが今回ばかりはつくづく、知らないと言うのは罪だということが身に染みた。 ……それでも。期待と希望に満ちあふれる彼女の瞳に、断りきれなかったのである。 つくづく、惚れた弱みと言うのも、身に染みた。 そして結局承諾してしまい、現在に至る訳だが。 「……本当に『気だけ』デスね。昨日からまったく進歩してません」 「え〜!? そんなはっきり言わなくてもよくない!? も〜、ピエール君ってば料理が絡むと本当厳しいんだから……」 しかし十日間同じ料理を作り続けているにも関わらず、彼女の卵スープには一向に進歩が見られない。 まず色がおかしい。本来透明であるはずのスープは、何故か濁っている。 更にやっぱり味がおかしい。卵スープのはずなのに、卵の味がしない気がするのは気のせいだろうか? 簡単な料理のハズなのに、自分には正直何を間違えたらこうなるのかがサッパリ分からなかった。 「まったく、何を入れたらこうなるデスか?」 「え〜? 何って、普通の卵スープの材料」 「チェルシーさんの『普通』がわからないデス……。 ああもう、こうなったら、グルメマン一族の名にかけて、なんとかしないわけにはいきません! 明日の午後、食材を持ってワタシの家に来てください!」 呆れすぎて、つい勢いで言ってしまった言葉に、自分で驚く。 彼女も驚いた顔をしたが、自分の方が内心驚いていたかもしれない。 「えぇっ、いいの!? ピエール君、毎日食材探しに忙しいんじゃないの!?」 「……半日くらい休んでも大丈夫デス。 それに多分、あなたの料理の腕は、口で色々と説明したくらいじゃ上手くならない気がしマスから……」 表向きは呆れきった体裁を取り繕っていたが、内心は穏やかでなかった。 勢いで、それらしい理由をつけて、彼女を家に呼んでしまった。 今まで一度も彼女をちゃんと家に上げた事はない。もちろん、その逆もない。 最近の朝の日課は、主に玄関先で済まされている。 一つ屋根の下に独身男女が二人と言うのは、やはりどこか抵抗があったのだ。 そんな複雑な胸中をよそに、当の彼女は先程の言葉に「何ソレひどっ! いくら本当の事だからって!」と頬を膨らまして怒っていた。 が、 「でも、私のためにわざわざありがとう。ピエール君大好き!」 すぐに笑いながら、そして家の扉を開けて「また明日!」と帰っていく。 彼女にとってはきっと友達や家族に言っているのと同じ感覚なのだろうが、その一言は自分の今までの思考を吹き飛ばすのには十分で。 しかしそれと同時に彼女がここまで頑張っている理由を思い出し、胸がちくりと痛んだ。 翌日、彼女は約束通り、卵とその他食材をたくさん抱えてやって来た。 「ではまず、いつもチェルシーさんが作っているとおりに、卵スープをつくってみてください」 「オッケー! ……って、台所勝手に使っちゃっていいの?」 「どうぞ。ただしあんまり汚さないようお願いしマス」 「わかってるわかってる。じゃ、お借りしま〜す、と」 そう言って彼女は、真っ赤なエプロンを付けて準備に取り掛かる。 水を張った鍋を火にかけて、洗って切った野菜を入れる。 野菜はもちろん彼女が一生懸命育てた、この春旬のとれたて野菜。 後は野菜が煮えるのを待って、塩コショウで味付けして。 最後にといた卵を入れれば、卵スープのできあがり。 できあがり、のはず……なのだが……。 「ちょっ、ちょっとチェルシーさん! あなた一体ソレをどうするつもりデスか!?」 「え? 何って……隠し味を入れようと……」 さも当たり前のように彼女の手に握られているのは、何故かマヨネーズ。 割と万能な調味料ではあるが、しかしスープを作るにはまったく縁のないものなはず。 「マヨネーズを卵スープにいれるなんて、聞いたことがありません! どうしてそうなるのデスか!?」 「だってほら、同じ卵だから。味が濃くなっておいしいかなーって」 ……目眩がしてきた。 その理論で行くと、彼女は茶碗蒸しにもマヨネーズを入れるのだろうか? ……いや、考えたくもない。 しかも彼女の周りには、よくよく見るとマヨネーズの他にも様々な調味料が広がっている。 もう片方の手にはソース。鍋の近くには、油・砂糖・その他諸々。 「……まさかチェルシーさん、いつもこれ全部いれて……?」 「うん、そうだけど?」 「それじゃおいしいスープができるわけないじゃないデスか! なんでもかんでもいれればいいってものではありません!」 「えぇー!? 隠し味はダメなの!?」 「隠し味をいれること自体がダメなのではなく、あなたのいれてるモノがダメなのデス! もう一度、やりなおしデス!」 「そんなぁ〜」 ……ああそうか、これで彼女の料理が駄目な理由が分かった。 その後彼女は最初からやり直したわけだが、とにかくやたらと余計なものを入れたがる。 魚、ハーブ、チーズに餅。どうりでいつも、色が濁っていると思えば……。 ……というか、自分は今までそんなものを飲んでいたとは……。 いくら惚れたナントカと言えど、こればかりは少々吐き気がした。 その後も彼女との特訓は続き、気付いたら空は茜色。 なんとか余計なものは入れないように言い聞かせ、とりあえずやっとまともな味にはなった。 「……これならまぁ、大丈夫デス。がんばりましたね、チェルシーさん」 「うん! 今日は本当にありがとう、ピエール君」 「いえいえ。まぁ、その……いえ、なんでもないデス」 「? 変なピエール君」 あなたと二人で過ごせただけで、幸せだなんて。本当の事なんか言えるはずもなく。 いきなり黙った自分に、不思議そうに小首を傾げる彼女。 自分は明後日の方を見ながら、「そんな事ないデスよ」と呟く。 彼女はそれに納得したのかどうかは知らないが、エプロンをはずし、にっこりと笑って頭を下げて。 「まぁいいや。私、これからは一人で頑張るね! ピエール君、今までありがとう!」 「え? それはどういう意味デスか?」 「だって、ピエール君に全部教えてもらっちゃ意味ないでしょ? 少しは自分の力で頑張らなきゃ。 だからね、これからは自分で、自分だけのおいしいスープの味を、探すの!」 少々不安になったが、その気持ちを無下にするのもなんだか悪い気がして、結局「そうデスか」としか言えなかった。 そして彼女は、動物達を小屋へしまわなくちゃと牧場へと帰っていった。 その時の彼女の瞳は真っ直ぐで、彼女に想われている男が、どんなに羨ましかったことか。 それから彼女が卵スープを片手にやって来ることは、なくなった。 きっと彼女が言っていたとおり、一人で研究を重ねているのだろう。 大好きな、大切な人からの、たった一言を求めて。 しかし彼女が来なくなって、5日も過ぎた頃。午後の喫茶店で彼女と会った。 たった5日会ってないだけなのに、1ヶ月くらい会ってなかったような気がして、会えた事だけが純粋に嬉しくて。 彼女は自分を見つけるとこっちにかけよって来て、同じテーブルに着いて飲み物を頼んだ。 なんだか、今日の彼女は機嫌がよさそう。 ……きっといいことがあったんだろう。 しかし今は、その『いいこと』を素直に祝福できない気がして。 複雑な気分で「何かいいこと、あったんデスか?」と聞く。 我ながら、なんだか白々しいセリフのように聞こえた。 「ついにね……ついに私はやったのよ! もう卵スープは極めたわ!」 「それはおめでとうございマス! ……と、いうことは……?」 「うん、明日渡しに行こうと思って。あ〜、喜んでくれるかなぁ〜?」 「……大丈夫デス。チェルシーさんは、こんなにもその人の事を想ってがんばったじゃないデスか。 きっとそれが、何よりの『隠し味』デス」 ――ああそうか、やっぱり。 素直に祝福できなかった。 だけど彼女の笑顔が見たいから、本当の気持ちをごまかして、ついこんな事を言ってしまう。 案の定彼女は、いつもの明るい笑顔で「ありがとう」と言って。 そしてしばらく他愛ない会話を交わした後、彼女は鼻歌なんて歌いながら牧場へ帰っていった。 どうして、どうして、どうして。 どうして自分は、彼女に恋をしてしまったのか。 修行を忘れて色恋沙汰だなんて、今の自分には、本来許されない事なのに。 分かっていたし、今回の事は理由をつけて諦めるには、絶好のチャンスなはずだ。 だけど彼女が、いつも笑顔だから。いつも自分に笑いかけてくれるから。 使い古された表現だけど、彼女の笑顔にはまさにこの表現が似合うと思う。 向日葵のような、笑顔。 それに、よく通る明るい声。何事も諦めないで、いつも一生懸命な姿。 声を掛けてくれる度に、元気をもらえた。会いに来てくれる度に、嬉しくなった。 いつからなんて分からない。気付いた時には、かなり好きになってしまっていた。 ……自分は名高き料理評論家・グルメマン一族の一員で、嫌いな料理があってはいけないのに。 卵スープだけは、嫌いになってしまいそうだった。 また、朝がやって来た。 今まで毎朝卵スープを持ってきた彼女は、今日は別のところに行く。 そう、自分の家にはもう来ない。 ……そうだ、朝ご飯を作らなければ。ぼーっとしている場合じゃない。 今日のメニューは何にしようか。良い一日は、美味しい朝ごはんから始まるのだ。 ……そういえば今までは、彼女のまずいスープが朝ご飯の一部だった。 毎日毎日「今日は大丈夫!」と言い張るくせに、ちっともおいしくなんてなかった卵スープ。 ――ああ、どうしても思い出してしまう。 もう彼女は来ない、卵スープは飲めないのに。 なのに……。 ――コンコン。 ……まさか? いやいやそんなはずはない。 だけど、だけど、まだ覚えている、控えめなノックの仕方。 ――ドンドンドン!! まだ覚えている、一番初めに彼女が来たときのこと。 こんなに朝早くから誰だと思って、しばらく様子を見ていたら、今度は扉が壊れんばかりのノックに早変わり。 「落ち着いてください! 今出マスから! 扉が壊れてしまいマス!」 「あっ、ごめんごめん! 聞こえてないかと思って、つい! ほら私さー、牧場仕事とかしてるから、必然的に力ついちゃうんだよね〜」 最初に彼女が来たときと、まったく変わらないこのやりとり。 扉を開ければ、そこにいたのはやっぱり彼女。 ただ前と違うのは、手に持っているスープの透明度。 「あの、チェルシーさん……?」 「あれ、昨日言ったでしょ? 私はスープを極めたって! さぁさぁ、冷めない内に飲んじゃって。もちろん隠し味には『あなたへの想い』がたっぷり!」 そんな、まさか。 彼女の言ったことが信じられなかった。何を言っているかも分からない。 しばらく頭が回らなかった。 だけど、時間をかけて理解した瞬間に思った。昨日までの自分はなんて馬鹿だったんだろう、と。 一人で勝手に落ち込んで、果ては卵スープを恨んで。 「……いただきマス……」 「めしあがれ!」 一口すくって、口に運ぶ。 この前までとは全然違う。シンプルだが決して薄すぎず、素材のよさを最大限に引き立てている。 彼女はこの味にたどり着くまで、あれから一人でどれほど努力を重ねたのだろうか。 「おいしいデス……。本当に、本当にすごいデス……」 「そう? よかった、ここ数日がんばったかいがあったわ! 私ね、好きな人に私の料理を食べて『おいしい』って言ってもらうの、夢だったんだから!」 「……知ってマス……。知ってマスよ……」 いつもと変わらない彼女の笑顔。変わったのは、卵スープの味だけ。 ああ、なんだか泣いてしまいそう。 自分はいつからこんなに涙脆くなってしまったのだろう。 それでも悪い気は、全然しないが。 「そっ、それじゃ! わ、私もう行くね!」 と、少し考え込んでいる間に、言いたいことだけ言って帰ろうとする彼女。 ちょっと、待った。まだ自分は何も言っていないのに。 だけどこういう時になんて言ったらいいか分からなくて。 肝心な時に気の利いた言葉がすぐに浮かばなくて……。 ……そうだ、少しだけ仕返ししよう。 自分をここまで振り回してくれた、彼女に。 今回くらいは、バチは当たらないはずだ。 そう、とびっきりのサプライズで。 「待ってください。 ……チェルシーさん、朝ゴハンはもう食べたデスか?」 「……へ? え、ううん、まだだけど……」 自分の一言に、驚いたような顔で振り向く彼女。 さぁ、彼女に言ってやるんだ。 なるべく冗談っぽく、いたずらっぽく聞こえるように。 「じゃあ、ワタシの家で食べていきませんか? 今日はおいしい卵スープのお礼に、ワタシも腕をふるいマスよ。 ……ワタシだって、好きな人に『おいしい』って笑ってほしいデスから」 今日も朝のスープは、彼女の卵スープ。 前と違うのはスープ自体の味とそして、このあたたかくて、幸せな想い。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ピエチェル熱と勢いだけで書きすぎて、もう見直す度に大幅な加筆修正してます。 でもなんとなく完全消去できないのは、やっぱり思い入れがあるからでしょうかねえ。 ゲーム中に卵スープばっかり貢いでた話をストーリー仕立てにしてみたのです。 BACK |