「どうぞ、こちらへ」



あれは、ある雨の日だった。
正確には、昼間はとてもいいお天気だったのに、いきなり激しい夕立が降った日。
その日私はたまたまミステル君のお店に寄っていて、さて家に帰ろうと思った時のこと。
傘なんて当然持っていなくて、走って帰るしかないなあ、あーあ。なんて思っていたら、


「待ってください。お送りしますよ」


ってミステル君が言ってくれたんだけど、私の家なんて山の上だし、悪いよって断ったんだ。
でもそうしたらミステル君は、


「いいえ、女性を雨の中、それこそ山道を一人で歩かせる訳にはいきません。
 あなたが、心配なのです。どうか送らせてください」


なんて言いながら、傘を取り出して。
白くて、薄い銀色の糸で綺麗な刺繍模様が入れられている、素敵な傘だった。
そこまで言われて断る理由が見つからなかったし、というかミステル君みたいな素敵な人にそう言われて断れる人なんているのかな。

とにかく私はお言葉に甘えて、家に送ってもらった。
一つの傘の下、五センチの距離。
あんなに男の人と近づいて歩くなんて初めてで緊張して、正直何を話したか覚えてない。


だけど一つだけ覚えているのは、あの街から家までの道のりのせいで、私はすっかりミステル君に恋をしてしまったということだ。





アンブレラブ・ロマンス

「はぁ〜……あの時のミステル君、かっこよかったなあ……」


何度思い返してもうっとりしちゃう。
真っ白な傘の中。歩くたびにシャラシャラと音がしそうな金髪。私より少しだけ高い目線。アメジストみたいな瞳。落ち着いた声。
もう本当にドキドキして、あの空間の中ではミステル君の声しか聞こえなくて、雨の音なんか全然耳に入らなかった。まあもっとも、そのミステル君の声も、話してくれた内容自体は薄ぼんやりなんだけど……。ああ、私のバカバカ。


「なあ、ミノリ。それ今日……もう数えるのを諦めたよ、オレ」


私が幸せな思い出に浸っていると、呆れたような声がした。
ああそうだった。レーガ君のお店でご飯を食べてたんだった。目の前には食べかけのオムライスが放っておかれている。

「だ、だって。本当にかっこよかったんだよ? 王子様みたいで」
「それももう聞いたよ。まったく、ミステルも罪な奴だよなあ」
「本当、罪だよ〜! もう、私どうしよう……」

たったあれだけのことで、こんなに好きになっちゃって。
こんなに人を好きになったことないのに。しかも今までそんなに意識してなかったのに、こんなに突然。

「今ここでオレに語ってる内容を、本人に言ってやったらどうだ?
 喜ぶと思うぜ、ミステル」
「ななな何言ってるの!? そんなの告白するも同然じゃない……!」

そんな、だってミステル君とは特に仲が良いとか、そういう訳じゃないのに。
いきなりアタックをかけて、嫌そうな顔をされたら?
ありえる。だってミステル君って、優しいけどそういうところはドライだもの。
前に『人を心配するのは嫌なこと』って言ってたもん。ああー……。

「だから、告白しちまえばいいんだよ。もう一度言うけど、喜ぶと思うぜ。ミステル」
「そんな訳ないもん〜……」

涙目の私にレーガ君は爽やかな笑顔で言うけど、大体ミステル君が喜ぶところってあんまり見た事ない。
クール、だよね。そんなところも素敵だけど。

「あるさ。ミステルは、わざわざ気のない女の子を家まで送ったりしないと思うぞ?」
「そうかな〜……」
「そうだって。しかも相合傘でなんてさ、オレなら絶対好きな子にしかやらないな」
「う〜……なんとなくレーガ君に言われると、説得力があるね」
「そりゃどうも」

爽やかーでかっこいい笑顔の似合う、女の子にモテるレーガ君に言われると、なんだかちょっと自信が出た。
私は少し元気になって、残っていたオムライスを口に運ぶ。
おいしい。少し冷めちゃったけど、やっぱりレーガ君の料理はナンバーワンだ。

「……よし! 私、とにかくミステル君とお話してみる! 仲良くなるにはまずお話から!」
「そうそう、その意気だ」
「ありがとね、レーガ君。ご飯今日もおいしかった!」

そう言いながら私は空になった皿の横に、お代を置いて立ち上がる。
行かなきゃ。レーガ君がくれた勇気、無駄になんかしない。


「どういたしまして。またのご来店、お待ちしてます」


かしこまってお辞儀するレーガ君にくすりと笑いながら、私は店を出た。
会いに行くの、王子様に。



(……本当、ミノリも鈍いよなあ。ミステル、きっと苦労するぜ)



去り際になんだかレーガ君の声が聞こえた気がしたけど、小さく呟かれた独り言だったみたいで、何を言っているかまでは分からなかった。







「いらっしゃいませ。……おや、ミノリさん」
「こ、こんにちは、ミステル君。お邪魔、します」


と、まあ意気込んで来たはいいものの、実際にミステル君と対面すると、緊張してカチコチになってしまった。
ああ、ミステル君、今日も笑顔が素敵。

「こんにちは、ミノリさん。今日はどうされたんですか?」
「ええっと、その。あの。こ、この間は、本当にありがとうございました」
「ふふ、お礼の言葉なら先日にも頂戴しましたよ。律儀な方ですね」
「あ、ああ、うう……」

そんな風に褒めないでください。私はただの、ミステル君と仲良くなりたい打算百パーセントな女なんです。
今の私、顔真っ赤になってないかな。下心がバレちゃったらどうしよう。


「……ミノリさん」
「……は、はいっ!?」


ふと、ミステル君がじっと私の顔を見つめた。
え、え、何だろう。真っ赤な顔がこれ以上真っ赤になっちゃうのは、困るんだけど。
近くで見るとやっぱりかっこいいなあ本当王子様みたいであのでもどうしたんだろう何か言って欲し


「頬に、ケチャップがついてますよ」


い、な?
段々パンクしてきた思考回路を、その一言が止める。
ケチャップ。あー、オムライスに乗ってた。ご飯食べた時についたのかな。
……って。

「や、やだ! ごっごめんなさい!」

段々冷静になってきた頭は、それをミステル君に見られたことへ対するパニックでまた訳が分からなくなった。恥ずかしいやら悲しいやらで、泣きたい気持ちだ。
だらしない子だと思われちゃったかな。もう、レーガ君はどうして教えてくれなかったの。
少しだけ本当に泣きそうになりながら、ハンカチを取り出す為にカバンを開けようとした。
けど、ミステル君の白い手にやんわり止められる。


「ふふ、別に気にしてませんよ。……少し、動かないでください」


相変わらず笑っててくれるミステル君は、一応気分を悪くしてはいないみたいだった。良かった。
それよりも手を止められたことが気になっていると、ミステル君がポケットからハンカチを取り出した。
ま、まさか貸してくれるのかな? ミステル君紳士だなあ。なんて考える。
けど、そうじゃないみたいだ。何故ならハンカチを持ったミステル君の手が、そのまま顔に近づいてくるから。

あの時傘を持ってた手。何度見ても女の私より綺麗なその手は、あんまり見すぎると手を取りたくなってしまう。なので視線を目の前の人に戻す。相変わらず笑ってる。
その内にとうとうミステル君の手は、私の頬に到達した。
ふんわりと、でも確かにハンカチが頬とこすれる感覚があって。私は動きたくても動けなかった。


「はい、取れましたよ」


そう言ったミステル君の手にあるハンカチには、鮮やかな赤が広がっている。
私についていたケチャップ。
ミステル君の予想の上を行く紳士っぷりに、私のドキドキは止まらない。
私きっと今、またミステル君に恋をしてる。傘の時と同じ。


「あの、あり、がとう」
「どういたしまして。……お昼は、ケチャップを使ったものだったんですか?」
「う、うん、そうなの。オムライス、レーガ君の、お店で」


私に気を遣ってくれているのか、ミステル君が雑談を持ちかけてくれているのに、ドキドキが収まらなくて上手く話せない。
また、またこれも同じだ。だめ、今回はもっと落ち着いてお話しなきゃ。そう、前回と同じにはならない。

「レストラン、ですか」
「うん。レーガ君のご飯、おいしいよね。ミステル君は行ったことある?」
「ええ、まあ、何度かは。確かに彼の腕は一流です」
「だよね! それにレーガ君ってお話上手だし、今日もお話聞いてもらっちゃった」

良かった、少しは話せる。ありがとうレーガ君、話題になってくれて。というより勝手に話題にしてますありがとう。


「……そうなんですか? ちなみに、どんなお話だったんです?」


……と、思ったけどやっぱり話に出さない方が良かったかもしれない。
だって、『ミステル君のことです』なんて言える訳がない。
ふと、レーガ君の『本人に言ってやったらどうだ?』が頭をよぎるけど、もちろんそんなことできないし。


「えっと、その。内緒……です」


だから私にはそう言うのが精いっぱいだった。だけど。
それを聞いたミステル君は、少し冷めた目になった。少し、だけれど、鈍い私でも分かるくらいの変化だった。一気に冷や汗が出る。
どうしよう、嫌な気持ちにさせてしまったみたい。

「ごっ、ごめんなさい! あの、違うんです、その、悪口とかじゃなくて、ちょっと恥ずかしいというか……」
「恥ずかしい話……ですか。レーガさんとは話せるのに、ボクには言えない話なんですね」

いくら言い訳しても、どんどんミステル君の目は冷たくなっていくばかりだ。
嫌、その綺麗な瞳は、いつだって宝石みたいに輝いていて欲しいのに。そんなにナイフみたいな目を、しないで。
けれどどうしていいか分からなくて、自然と目頭が熱くなってくる。


「……っミ、ミノリさん?」
「ごめんなさ、ごめんなさ、ごめ……」


泣いたら鬱陶しい女だって思われちゃう。嫌だ、泣きたくない。なのに体は私の言う事を聞いてくれない。
どんどん涙があふれていって、喋ることさえままならなかった。

「どうして、あなたが泣くんですか……」
「だ、だってっ。ミスッ、ミステル君にっ。きら、嫌われ……」

だけど珍しく困った顔のミステル君に、少しだけ安堵する。怒ってるよりは困ってる顔の方が、まだいい。
そんな困り顔のミステル君は私の方に近寄ると、ゆるく頭を横に振った。

「ボクがあなたを嫌いに? どうして今の話で、嫌いにならなきゃいけないんですか」
「ミステル君冷たい目してたからっ、だからっ……」
「それは……別に、あなたが嫌いだからじゃありませんよ。むしろ……」
「本当?」
「ええ。こんな状態のあなたに嘘なんて、つけません」
「良かったあ……」

嫌いだからじゃない、その一言に私は全身の力が抜けたように安心した。


「でも、じゃあ、どうして」
「……あなたは。
 ボクに嫌われたと思って涙を流したということは、ボクのことをある程度好きでいてくださるということですか?」


けれど私が疑問を口にする前に、ミステル君の言葉で先を塞がれてしまった。
ミステル君は、いつの間にか私に背を向けている。表情が見えない。だから、ミステル君が何を思ってそれを私に聞いているのか、余計分からない。
そんなの、もちろん好きだよ。ある程度なんてレベルじゃなくて、すごく。でも、ミステル君は今、どういう意味で『好き』って聞いてるの?
お友達として、かもしれない。というかきっとミステル君なら、そう。
だったら、そんなに照れる必要はない、よね。


「うん。私、ミステル君のこと、好き……だよ」


照れる必要はない、のに。やっぱり言葉が震えてしまう。
だってこんな、告白してるみたいな言葉。そうじゃないって思ってるけど、でも本当の気持ちは告白したいんだよ。



「……ボクも、いえ、ボクは、あなたのことが好きです。一人の女性として。
 あなたと恋人になりたいと、思っています」



ふわりと風が吹いた気がした。ミステル君が振り返った。
ミステル君は今まで見た事もないような、優しい、それでいて少しだけ頬を染めた、胸が締め付けられるような笑顔だった。
いま。なんていった? こいびと?


「あなたはどうですか? 友達としてではなく、男としてのボクは……好きですか?」


切なげに目を細めるミステル君に、私の胸はドキドキするのも忘れて、ひたすら締め付けられっぱなしだった。
嬉しすぎて、苦しくて、止まっていた涙がもう一度頬を伝っていった。


「好きです。ミステル君が好き。恋人になれたらいいなって、思ってた」


もう、言葉を選ぶ必要なんかない。ひたすら素直な気持ちを口から出していく。
ミステル君が私を抱きしめる。耳元でありがとうございます、って聞こえた。
ああ今の私、ミステル君の息遣いと、心臓の音しか聞こえてない。また、また、あの傘の下と同じ。










「また、雨……」


それからもう少しだけ抱きしめてもらった後、とても離れがたかったけど離れない訳にはいかないので、離れて。
順番が逆になってしまいました、とミステル君から指輪をもらったり、お互いの呼び名はどうするとか、これからよろしくとか。
そんな幸せな時間を過ごしていたら、すっかり夕方になってしまった。
そうして外に出たら、外はまた雨なのだった。そういえば雨の音が途中からしていたような、気がする。


「お送りしますよ」


隣に立つミステル君が、見覚えのある白い傘を広げた。
正直ミステル君に送ってもらえるなら毎日雨でもいいなあなんて思いつつ、その傘に入れてもらう。
付かず離れずの微妙な距離は、前とはまた違った恥ずかしさがあって、私は思わず俯いてしまった。

「ミノリ、もう少しこちらに来てください」

ミノリ。呼び捨てで呼んでもらえる特別感に頬を緩めつつも、恋人の言葉に素直に従う。
五センチを四センチに。四センチを三センチに。
少しずつ距離を詰めていたのだけれど、でもそれは一気に0センチになる。


「〜〜っ!」


ミステル君に傘を持ってない方の手で引き寄せられて、気付いたらキスをしていたから。
傘で顔は隠れているし、周りには誰もいない。けど。けど。
突然の彼の行動に、言葉にならない声を上げるしかなかった。

「ミッ……ミステル君って……意外とダイタンだね……」
「ふふ、ボクはこういう男ですよ。幻滅しました?」

ついさっきまでは王子様みたいに見えてた笑顔が、なんだか違う感じに見えるよ。
でもそれはもちろんマイナスな意味じゃなくて、むしろ。


「……もっと、好きになっちゃった……」


王子様みたいに優しいのに、そんなところは大胆なんて。クラクラしすぎて頭がおかしくなりそう。
この人は本当に私を夢中にさせるのが、得意なんだと思った。

「そんなに可愛らしいことを言わないでください。もう一度、したくなってしまいます」
「……ミステル君なら、何度でも嬉しいもん……」


そうしてもう一度縮んでいく距離、傘の中の二人の世界。
けれどこれからはきっと、傘がなくたって。素敵な二人の世界を、作っていける。











〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最初はただただ傘で顔を隠してちゅーするミスミノが書きたかっただけなんですが、気付いたら広がってこんなお話に。
他のキャラの恋愛イベントに出張しまくる面倒見のいいレーガさんが好きで、そんなレーガさんも書けたので結構満足です。


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