――真っ暗な空間と、そこにぽつんと目立つ一つの明かり。


夜の闇に輝く月と、暗い牢屋に灯る電球の光。

ある意味似たような存在なのに、二つの光景が自分に与えた感情は真逆だった。





初めて夜空を見た時は、何と言うか、すごく心がざわついた。

木が群生する森の中、それでもその木の隙間から見える月と、夜空。
知識としては知っていても、実際に見るのは初めてで。
なんだかここは現実じゃない気さえして、ある種の不安感を覚えた。
だけどその不安感が何故か心地よくて、それが「感動」というものなのだと分かったのは、最近の事だ。


それ以来私は、夜はずうっと空を見ていた。


孤児院に来てからも、時々夜は寝床から抜け出して、空を見に来た。
昼間の光は私にはまだ、眩しすぎるから。
月明かりは明るすぎず暗すぎず、私は月が好きになった。
……好きなものをこれ以上増やしても、辛くなるだけだと分かっているのに。
それでも私は、月を見上げるのをやめられなかった。





「月が、綺麗だね」





そうして今日もこっそり抜け出して月を見上げる私の耳に、ふいに聞きなれた声が入った。
孤児院の住人に見つかって声をかけられることはあったが、この声を聞いたのは初めてで、聞こえるはずがないと思っていて、びくりと身を震わす。


「な……」
「いつもより仕事が遅くなっちゃってね。僕も隣に行ってもいいかな?」


声の主はごく自然に、許可を求めているくせに承諾を得る前にこちらへ近付いてきた。
一応ここは孤児院の敷地内で勝手に入っていいかどうかなんて私には分からないとか、そんな事が頭に浮かんだけれど、その時には「彼」は既に隣にいたので、意味なんかなかった。


「君が月にご執心だって聞いてね。もしかして、と思ったら本当にいるなんて。
 風邪ひくし、危ないよ?」


からかうような笑みの彼は本気で咎めている訳ではなさそうだが、頭が状況についていかず、依然として言葉が口から出てこない。
その間にも彼は自分の来ていた白衣を脱いで、私へとかけていた。



「……ヴェスタ」



ふわりと漂う薬品の臭い。そこでようやく、かろうじて彼の名前を口に出せた。


「ふふ。こんな夜更けに会えるなんて、遠回りしたかいあったよ」

満足そうに微笑んでいる彼の自宅は、この孤児院とは反対方向にある。
わざわざ私が月を見ている話を聞いて、遠回りしてきたと言うのか。

本当に、本当に、この人は。本当に。本当に。


「……あ……あなたと話す事なんて……ありません……。
 だ、だいたいここは孤児院の中ですっ……! 勝手に入るなんて……!」
「相変わらず冷たいなあ。すぐ帰るからさ、ちょっとだけ。ね?」

ようやく回るようになった口で、精一杯拒絶をしてみたのに、彼は微塵も気にしていない様子だ。


「君が月が好きなんて、初めて知ったよ。
 まぁ僕の知ってる君は、月なんて好きどころか見たこともなかっただろうし、無理ないか」
「……」

「月明かりに照らされる君ってのも、綺麗だね」
「……ありがとう、ございます……」

「ところで東の国ではさ、『月が綺麗ですね』っていうのは、『愛してる』って意味なんだってさ」
「……そう、なんですか……」


私はそっぽを向いて適当な相槌を打っているだけなのに、彼は喋ることをやめない。
本当は「綺麗」なんて言われて顔が熱いことは、どうか喋るのに夢中で気付かないでいて欲しいと思った。



「……でも、さ」



だけどふと、一瞬だけ彼が会話を途切れさせる。
そこで不思議に思ってチラリと彼の方を振り返った私は、改めて見る彼の姿に、思わず見とれてしまった。

クリーム色の月の光が、彼の銀色の長い髪を、透明な眼鏡のレンズを、その奥の青い瞳を、病的に白い肌を。
照らす様は、どうしようもなく綺麗だった。

そういえば、月の下で彼の姿を見るのは初めてだ。
今まではずっとずっと薄暗い部屋か、気持ち悪い人工的な明かりの下でしか、見ていなかったから。
初めて太陽の下で彼を見た時も、目を背けたくなるほど輝いて見えた事を思い出した。


「僕だったら、そんな回りくどいことしないけど」


そんな月明かりに包まれてニヤリと笑う彼から、目が離したいのに離せない。
顔を背けて、素っ気なく返せ。脳がそう言っている。
いつもは私に優しくしてくる彼が挑発的に笑う時は、大抵私にとってろくでもないことを言う時だから。
今回も、きっと、きっと。




「愛してるよ、レア」




ああほら、やっぱり。
しかもあろうことか彼は、それだけ私の耳元に囁くと、あっさりと私の隣を離れていった。
軽く手を振る彼が視界の端にいた気がしたけど、そんなのどうでもよくって。


だから、だから嫌なのに!


簡単にそんなことを口にできる彼も、そしてなによりそれを嬉しく思ってしまう自分が。
これ以上好きなものを増やしても、苦しいだけだと思ったばかりなのに。





暗闇の中での唯一の光、だけど明るすぎなく暗すぎない。
肩にかかったままの白衣を存在を思い出して、私は月が直視できなくなってしまった。













Like moon
(月が好きな私、まるで月のような彼)









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いつぞや日記に書いたものの再録〜。秋は無性に月で創作がしたくなる。
タイトルは掛け言葉ってやつです。苦しいけど私にしては上出来と自画自賛。


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