唐突に、何かが地面に叩きつけられたような派手な音がした。

反射的に振り返ると、そこには愛用の携帯が地面に転がっている。
急いで拾い上げ、壊れていないか確認しようと慌てて画面を見た。
……良かった。何ともないみたいだ。


ほっと安堵のため息を付いて顔を上げると、彼女の不思議そうな顔が目に入った。

「それなーにー?」

綺麗に巻かれた縦ロールを揺らして小首を傾げるその姿は、素直に可愛くて。
一瞬問いに答えるのを忘れかけてしまったが、慌てて我に返る。


「携帯、ですけど……。もしかして、『ここ』にはないのでしょうか? 携帯電話」
「うんー? なにそれー?」

相変わらず頭上に疑問符を浮かべたままの彼女の姿から察するに、この世界にはやはりないらしい。


携帯電話。僕の世界ではその存在は当たり前すぎるけど、ここではそうじゃない。
だってこの世界は僕の世界とは違う、いわゆる「異世界」だから。

異世界なんて、漫画とかゲームみたいな話だけど。だけど僕は、今ここにいる。
コスプレみたいな服を当たり前に着てて、武器を持ってる人もいて。
赤とか青色の髪の人がごく普通にいて、ビルもテレビも携帯電話もない世界に。

どうして僕がここにいるのか説明するのは、長くなりそうだから止めておくけど。
とにかく僕からしたら異世界であるここに僕はいて、そしてここの住人である目の前の彼女とは……その、いわゆる、恋人同士、というやつ、だ。


「携帯電話、って言うのはですね。えっと、まず一番メインの機能は、遠くの人と話が出来たりします」
「本当ー? すごいねー」

一見声のトーンは平坦だし、表情もあまり変わらないので無関心に見えるかもしれないけど、僕には分かる。
同じようで違う、いつもより楽しそうなトーン。きらきらした目。きっと見た事もない物が、珍しいのだと思う。
彼女の好奇心に満ちた表情に僕はなんだか嬉しくなって、続ける。

「それから、一瞬で手紙みたいなものをやり取り出来るんですよ」
「いっしゅんー? 郵便屋さんに届けてもらわなくても届くのー?」
「はい」
「へー。白君の世界はすごいんだねー」
「あはは、そうですね。
……まぁでもその代わり、これのせいで酷い目にあってる人もたくさんいるんですよ」
「そうなのー?」
「ええ、悲しいことですが……」

そう、実際現実では携帯電話を使った犯罪が山のようにあるのだ。
便利すぎる物は、使い方を誤れば災いを招く。
文明の利器は何もないけど平和で幸せなこの世界を見ていると、つくづくそう思う。


「そっかー。でもー」
「?」
「それでもわたしはー。あったらいいなって思うー。それー」

ふと、彼女がぽつりと呟いた。
唐突すぎて訳が分からないままでいると、


「だってー。それがあったらー。いつでも白君とお話したりお手紙したりできるんでしょー?」


えへへー、とはにかみながら彼女は言った。

「……そうですね。そしたらきっと、すごく楽しいと思います」

そんな彼女に釣られて、僕も自然と笑顔で返す。


……僕達はいわゆる、遠距離恋愛というやつだ。世界という大きな距離を隔てた。
気軽にお互いに会えない僕達。せめて声だけでも、言葉だけでも気軽に交わせたなら、どんなにか幸せだろう。

……だけど実際には、やっぱりどう頑張っても無理なのだと思う。
仮にこの世界に携帯があったとしても、恐らく電波が届かないだろう。


「ねねー。白君は普段お友達とー。どんなお手紙してるのー?」
「僕ですか? そうですね、普段学校で話してる事とあんまり変わりませんよ。
それか、分からないことがあったら教えてもらったり、逆に聞かれて教えたり……」

それでも、実際にはありえない事なのだとしても、彼女とこうして「もし」の話をしているだけで楽しかった。

もし、電話が出来たら何を話そうか。
毎日電話しちゃいそうなんて言う彼女。僕も同じだと言って、互いに笑い合う。
そして彼女は、照れながら「それからー。白君にもおやすみって言ってみたいなー」と付け足した。
それはすごくいいなぁ、って思う。一日の終わりに彼女の声が聞けたら、きっといい夢が見られそうだ。

もし、メールが出来たらどんなやり取りをしようか。
学校であった何でもない事を報告して、彼女からは孤児院の様子を聞いて。
写メを送り合うのも、楽しそう。……先輩達に、変な写メを勝手に撮られて勝手に送られたりしそうで、怖かったりもするけど。





その日は、そんな話をしている内に、いつの間にか空がオレンジ色になってしまっていた。

彼女と一緒にいると、いつもこうだ。幸せな時間は過ぎるのが早い。
名残惜しいけど、彼女だって孤児院の子達との晩御飯の仕度があるのだし、迷惑はかけられない。
子供達と手を振る彼女と別れて、夢の道を通って僕の世界へ帰って行く。


家に帰ってただいまを言うと、お母さんのおかえりなさいが返ってきた。
台所からはいい臭いがするけれど、晩御飯はまだのようだ。僕は自分の部屋へと足を向ける。
ぼすんとベットに倒れこんだ時にふわりと浮いて目に入った髪の毛は、見慣れた薄茶色。
恥ずかしい兎の耳も真っ白な髪も真っ赤な目もない、いつも通りの僕。

前はこの歳で兎耳なんて恥ずかしい以外の何物でもなくて嫌だったけど、今はこの薄茶色の髪と瞳こそが彼女との距離を表していて、なんだか複雑だ。


「メール……かぁ……」

ふと、携帯を取り出してぼんやりと見つめる。
すると突然ピカピカと光りながら、音楽が鳴った。メールみたいだ。
送信者は……ツバサ。なんだろうと思って、メールを開いてみると……


『聞いてよー今日、居間に行った時の話なんだけどね、トラさんと小市が見つめ合ってたんだよ!
あの二匹、こんなに仲良かったなんて思わなかったよー』


内容は、ツバサのなんて事ない日常の出来事だった。(ちなみにトラさんは猫、小市はハムスター。二匹ともツバサの家で飼われている)

病弱で家にこもりがちなツバサにとっては、そんな小さな事でも楽しかったのだと思う。最後にはオーソドックスな笑顔の絵文字なんかついてたりして。
他愛ないメールだけど、画面越しにツバサの笑顔が見えた気がして、思わず僕も小さく笑う。
……まぁ、ちなみにツバサの感覚は多少人とズレているというか、そんな感じなので、実際の光景はもっと違うものだったのかもしれないが。


返事を送って、携帯をパチンと閉じた時。ふと、僕の頭に名案が思い浮かんだ。

そうだ。ここからあちらまで一瞬でメールを届ける事はできないけど、この感覚なら。
思わぬメールに驚いて、少し楽しくなれる感覚なら。
すなわち、あらかじめ手紙は届けておいて、彼女が後で気付くようにしておけば?

例えば、帰り際にそっとポストに入れて帰るとか。
彼女が寝ている隙に、服のポケットに入れておくとか。……ああいや、彼女の服はいつもポケットのないタイプだ。これじゃ駄目だな。
じゃあ、他の誰かに渡しておいて、後で渡してもらう? うーん、何か恥ずかしいかも……。やっぱりポストかな……?


……いいや、方法はともかく、まずは肝心の手紙を書こう。
便箋と、封筒を取り出して。シャーペンをとって、早速手紙を書き始める。

……質素な便箋と封筒しかないのは、ご愛嬌で……。
何せ普段はわざわざ手紙を書くような相手なんていないのだから、綺麗なレターセットなんてあるはずがない。
大事なのは気持ちだと自分に言い聞かせて(だけどやっぱり今度買いに行こうかな……なんて思いつつ)、手紙に書く内容を考える。

……いや、内容はいつも話してるような内容でいいんだ。むしろ、そうじゃなきゃ駄目なんだ。
大事なのは、他愛ないサプライズを届ける事だから。



――想いと言う名の電波に乗せて。リチェさん、あなたに届けます。
   僕達式の、アナログ・メールを。




















Fin










〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この話はとある事に触発されて書いたものなんですが(詳しくは説明するのがめんどくさいので割愛☆)、なんかこう、異世界恋愛ならではみたいな話が書けたかな、と思っております。
全部白君視点で書かれていますが、白君の思考とかそういうのは、全部「リチェがこんな風に白君に愛されてたら幸せだなー」という、私の願望というか妄想というか幻想というか、なんかそんな感じなので、偽者っぽいか……も……。
てか実際偽者くさいです!人様の子ってやっぱり難しい。

あ、ちなみに途中に出てくる白君のお友達のツバサ君からのメール、鍵さんご本人に考えていただきました。
ツバサ君の事は名前しか知らなくて、どんな子かよく分からなかったので、鍵さんに泣きついて文面考えてもらいました。
鍵さんすいませんでしたありがとうございます。毎回白君を快く貸してくれてありがとうございます。

ぐだぐだだけど、実は最後のフレーズはちょっと気に入ってたりする。(想いと言う名の〜ってやつ)


BACK