絶対絶命とは、まさにこういう状況の事を言うのだろう。



足や腕から流れ出る、真っ赤な液体。体全体を襲う痛みと、霞む視界。
得意の回復魔法も、この状態では呪文を唱えるのに集中出来ず使えない。



それでも彼は諦める訳にはいかなかった。何が、あっても。

最悪自分の命を犠牲にする覚悟は既にしていた。
だが、それは目的を果たし終えてからでなければ。



――彼……リタという少年がこんな状況に陥っている事の発端は、ほんの半日程前の出来事だった。












薬草探し

「先生! リアは……リアは、どうなんですかっ!?」
「ううーむ……」



少年の切羽詰った問いかけに、ベッドで苦しそうに眠る少女の診察を終えた年配の医師は、苦い表情を浮かべる。





――少女とは違った意味で苦しそうな顔をしている少年の名前は、リタ・レイシア。

彼はこの、「ベギン」という名の静かな村で、教会で妹と二人暮らしをしていた。
両親は彼が幼い時に他界してしまった。したがって十四歳の妹が、彼にとってのたった一人の家族なのである。


しかし一週間程前、その大切な妹がいきなり熱を出して倒れてしまった。


町の医者に診てもらったら普通の風邪だと言うので、妹も薬を飲んで大人しく寝ていた。
なのに一向に熱は下がらない。
それどころか益々悪くなっており、妹は苦しくて喋れない程になってしまった。

……まさか、実は風邪よりも深刻な病なのだろうか? 小さな不安が彼の心をよぎった。
妹が心配な彼は、隣町の大きな病院の医者に往診を頼み、妹を診てもらう事にしたのであった。





「これは……」
「先生! どうなんですかっ!?」
「残念じゃが……これは簡単に治る病では、ない」
「! ……そ、そんな……!」


重々しい口調で告げられた言葉に、ショックを隠しきれないリタ。
切羽詰った表情で、医師に詰め寄る。


「どっ、どうして!? どういう事なんですか!?」
「この季節、東から風に乗ってやってくるある草の花粉に異常な程のアレルギー反応を起こし、寝込んでしまう者がごく稀にいると言う。
しかも今年は特にその草の数が、一気に増えたそうじゃ……。遠い遠いこの村まで飛んできたのも、そのせいじゃろう」
「なっ、何か治療法は!? 治療法はあるんですよね!?」
「ああ、もちろんあるとも」
「よかった……」


その言葉にほっと胸をなでおろすリタだが、依然として医師の表情は固いままだった。
重い口調のまま、まだ言葉を続ける。


「『月の雫』という植物を煎じて飲めば、その草の花粉の成分は消えるそうじゃ」
「じゃあっ、それを! お願いします!」
「話は最後まで聞く事じゃ、少年。その植物は、かなり貴重な植物。……どういう事か、分かるか?」
「?」
「かなりの高級品、という事じゃ。生えている場所が限られている上、そこには危険なモンスターが多い。
そして最近は更に手に入れにくくなったと聞く。
……最低でも、このぐらいはするじゃろうな」
「! ……こ、こんなに……!?」


医師が差し出した紙に書かれた額は、家一件を軽く買える程の額。
妹と二人、毎日生きていくのがギリギリなリタにそんな額を払えるはずがなかった。

しかし、それでも諦められる訳がない。


「おっ、お願いします! 今は払えないけど、でも、絶対返しますから……!
その為には僕、なんだってします! だからお願いです! お願い、します……!」


必死に頭を下げるリタだが、医師は残念そうに首を振る。


「……言ったろう。『最近は更に手に入れにくくなった』と。
最近何故かは知らんが更に入手困難になってしまったらしく、市場に出回っているのを全然見ん。
それこそクロス王国なんかに行きゃ、魔法薬の材料としても使われるそうじゃからあるかもしれんが……」
「クロス王国!? そんな、遠すぎます……!」
「じゃから、仮にお金があったとしても、簡単に手に入る物ではないのじゃ……」
「う、嘘…………」
「残念じゃが……」



絶望的な言葉にリタ膝から力が抜け、その場に座り込んでしまった。

そして瞳からは透明な雫がどんどん溢れ、頬を伝って落ちて行く。
医師も彼にかける言葉が見つからず、床へ水溜りが出来ていく様を見ているしかない。

必死に抑えて、それでも抑えきれない彼の嗚咽だけが静かに響き渡った。





……だが、しかし。彼は何を思いついたのかふと袖で涙を拭って立ち上がり、医師のほうへ向き直る。



「あの……ところで、その……『月の雫』って言いましたっけ……?
どこに……生えてるんですか?」
「! まさか、お前さん……!」

「手に入らないのなら、僕が……僕が、採りに行きます」



涙を袖で拭いて立ち上がるリタに、慌てて医師が声を掛ける。


「無茶じゃ! そこには危険なモンスターがいると言ったろう! 
そこに行くまでの道のりにだってモンスターはいるじゃろうし、それに最近入手困難になってしまったのにも何らかの理由があるはずじゃ!
妹さんを助けるためにお前さんが死んじまったら、元も子もない!」
「それでも……僕は、行かなきゃいけないんです……!」
「どうしてそこまで!」
「……家族を助けるのに、何か理由がいるんでしょうか?」



そう言って既に旅の支度を始めているリタには、医師も負けてしまったのだろう。
大きくため息を付き、観念したように呟く。



「お前さん……よっぽど妹さんの事、大切に思っとるんじゃな……」
「だって、僕のたった一人の、大事な……家族ですから」

「『月の雫』は……確か……。そうじゃ、モーントの森という場所の奥深くにある洞窟の、更に奥にあると言う。
しかしお前さん、行くと言うからには少しは戦えるんじゃろうな? とてもそんな風には見えんが」
「光の魔法を、少し……」
「……それでも、魔法使いが一人で行くなんて無茶には変わりない。分かってるのか?」
「分かってます。分かってますけど……!」

「モーントの森は、幸いこの村からなら歩いて行けない事もない。
しかし、あくまで『行けない事もない』距離じゃぞ。それでも行くのか?」
「僕は、行かなきゃ。行かなきゃいけないんです」

「…………そうか。お前さんには、負けたよ。これを持って行くといい」
「これは……?」


医師がリタに手渡したのは、いくつかの傷薬と包帯等が入った、小さな救急セット。
リタが医師に「ありがとうございます!」と頭を下げると、彼は「いいんじゃよ」と言って僅かに微笑んだ。



「じゃが、本当に気をつけるんじゃぞ。一歩間違えばお前さんが死んでしまう。
大切な妹を泣かせるんじゃないぞ」
「はい!」



こうして彼は、背にはリュックサック、手には地図を持ち、「モーントの森」を目指したのだった。









そしてその道のりは医師が言った通り、リタにとって相当な辛い道のりだった。



元々彼は運動が苦手なタイプであり、体力は低い方だ。
「モーントの森」までの道のりは医師が言っていた通りかなり遠く、歩いていくだけでも大変だろうに、たまに襲ってくるモンスター。
決して強いモンスターではないが、確実に彼の体力を削っていく。


それでも彼が歩き続けることをやめないのは、妹・リアの為だ。
妹を助けたい、その一心で彼は、半日かけてやっとモーントの森まで後少しという所までたどり着いたのだった。



だが、しかし。
それで少々油断してしまったのだろうか。それとも、ここまでの疲労がたたったのか。いや、きっとどちらもだろう。


道行くリタの背後から、襲い掛かるモンスター。気付いた時には時既に遅し。


ズボンの裾は引き裂かれ、脚には激痛が走り、思わずしゃがみ込む。
そこへモンスターが再び突進して行き、腕からも鮮血が流れ出る。

もうリタには再び立ち上がる力は、なくなってしまった。






一瞬の油断。
それが命の危機に繋がることを、旅なんかした事のないリタにはよく分かっていなかったのかもしれない。

とにかく、そうしてあっという間に絶体絶命のピンチに追い込まれてしまった、という訳だ。
やられていない方の腕で杖を振り回しなんとかガードしてはみたが、それにも限界がある。


(リア……)


ふと、苦しそうな妹の顔がリタの頭をよぎった。



(そうだ……。僕がここで諦めたら、リアは……!)



意識が薄れていく中、その一心が彼の意識を繋ぎとめた。

……モンスターが次の攻撃をしかけようと構えている。
もう既にリタの体力は限界だ。
しかし……目の前のモンスターさえ追い払えれば、落ち着いて傷の手当が出来るだろう。


(お願いっ……!)


モンスターが突進してくる。杖を構える手に力を込める。



(僕に……。リアを助ける力を貸して、母さん……!)



モンスターが向かってくる音。思わず固く目を瞑る。


……ふいに聞こえてくる足音が大きくなる。
いや、違う。増えたのだ。先程とは違う足音がする。

まさか……新たなモンスターが現れたのだろうか?
嫌な想像に恐る恐る目を開けた。



――しかしその瞬間聞こえたのは、風を切る音とモンスターの断末魔。
   目に見えたのは、日の光を受けて輝き揺れる、美しいライトパープルの髪。
   そして…………




「君、大丈夫!?」




髪と同じ色の、強い光を持った瞳。
ポニーテールにしても腰より長い髪。
若葉色の旅がしやすそうな軽装。

手には先程のモンスターの物だと思われる血がついた、剣。



初めは何が起こったのか分からなかったリタだが、数十秒かけてこの少女が自分を救ってくれたのだと理解した。









「本当に……本当に、ありがとうございます! ……あの、あなたは?」
「あたしはティン。旅をしてるの。
それでこの辺りにある『ベギン』って村に向かう途中だったんだけど、君がモンスターに襲われてるのが見えて……」



ティンと名乗ったその少女に、ひとまず手当てをしてもらう事になったリタ。
旅をしているだけあって、手馴れた様子で薬を塗り、包帯を巻いていく。


「あ、僕、その村から来たんです。
ベギン村はここからだと結構遠いんですけど、僕でも半日くらいで来れたましたから。
あなたなら多分暗くなる前には行けると思いますよ」
「ふーん……ところで君、なんでそんな遠いところから一人で来たの? モンスターもいて危ないって分かってるでしょ?」
「で、でも僕、モーントの森に行かなきゃいけないんです」
「モーントの森!? あんな危険なとこに!?」
「は、はい。でも、あの……」
「駄目駄目! 悪いこと言わないから、やめといた方がいいよ!」


包帯を巻きながら言うティンにリタが反論しかけるが、彼女の言葉によって遮られる。


「悪いんだけどさ、君、ここら辺のモンスターにやられてるのにモーントの森になんて行ったら、本当に死んじゃうよ。
今回はたまたまあたしが通りがかったたからいいけど……」
「う……。で、でも!」
「やめときなって。どんな理由があるか分かんないけど、死んじゃったら元も子もないでしょ。

……勿体無いよ? 折角、あたしなんかと違って可愛い顔に生まれたんだしさ」

「……はい?」



ティンの忠告に必死に反論しようとするリタだが、しかし彼女の予想だにしない一言にぽかーんと口を開ける。
そんな彼の様子が目に入っていないのか、ティンは依然手当てをしながら喋り続けていた。


「だからさー、そんなに可愛い顔なのに、傷とか付いたら勿体無いよ?
村までならちょうどあたしも行くとこだし、送ってってあげるから……」
「……あのー、もしかして」
「何?」
「僕の事……女の子だと、思ってます?」
「え? 違うの?」


……ああ、やっぱり。彼女の真面目な反応にうなだれるリタ。
しかしティンが間違えるのも、無理はない。


肩程まである、明るめの青い髪。同じ青色の瞳。
未だ幼さの残るその顔は、正直そこらの女の子よりも可愛いと言ってもいいだろう。
更に服装は白と黒を基調とした、教会の神官服。別に女の子が着ていても一応おかしくはないデザインになっている。

実際彼は今まで何度も女の子に間違えられてきた事もある。
だから慣れていると言えば慣れているのだが、しかし……



(やっぱり、僕だって一応男の子だし……ううぅ……)



年頃の男の子としては、女の子に間違えられるのはもちろん嫌な訳であり。
そしてティンもようやく空気で察したのか、あたふたと慌て出した。


「あっ、あの、もしかして……男の子?」
「はい、一応……」
「……えっ、えっと、その……。ごっ、ごめんなさい!」
「あ、いえ、別に……。慣れてますし……」


必死に謝るティンに、苦笑しながら返すリタ。
それでもやっぱりショックなものはショックだし、女の子に間違えられて嬉しい男の子なんていないと分かっているティンもまた、気まずそうに包帯を巻き続ける。



ふとそんな気まずい空気を和らげようとして、ティンが唐突に口を開く。


「あっ、あのっ、ところで君は、えーっと、どうしてモーントの森に行かなきゃいけないのかな?
そんなボロボロになってまで行きたいなんて、よっぽどの理由なんでしょ?」
「……ええ。実は……」


リタも気まずい空気の中黙っているのがつらかったのか、今までの経緯をティンに静かに語る。


妹の事。妹の病の事。「月の雫」の事。
そしてそれがモーントの森の奥深くにある洞窟の、更に奥に生えているらしい事。


全てを聞き終わったティンはしばらく黙っていたが、やがて「そっか……」と複雑な面持ちで呟いた。



「だから、僕は例え傷だらけになろうが、死にそうになろうが、行かなきゃならないんです。
……あ、助けてくれて、本当にありがとうございました。それに傷の手当までしていただいて……。
あの、ベギン村には、しばらく居るおつもりですか?」
「う、うん、そうだけど」
「良かった。じゃあ、僕が無事に戻れたら、その時に何かお礼させていただきます。
大した事は、出来ませんが……」


そう言ってリタは立ち上がり、もう一度頭を下げてティンに礼を言った。

だがその直後、やはりまだ傷が痛むのかしゃがみこんでしまう。
ティンが心配そうに「大丈夫!?」と声を掛けると笑顔で「大丈夫です」と返すが、やはり少しツラそうだ。



そんな彼を見て、ふいにティンが何かを諦めたような表情でため息をついた。




「はぁ……自分からやっかい事には関わりたくはなかったんだけど……。でも、やっぱりほっとけないよ。
あたしも一緒にモーントの森まで行ってあげる」




ティンの言葉に、再びぽかーんと口を開けるリタ。
彼女は苦笑しながら、それでも言葉とは裏腹に、とても柔らかい口調で言った。


「君の妹を想う気持ちには負けたよ。危険だって分かってるとこに、あえて行くなんて……。
……そういえば、君の名前は?」
「あ……リタです。リタ・レイシア」
「リタ君、ね。じゃあほら、早く行こう?」
「え、でも、そんな……」
「……もしかして、あたしも一緒に行ったら迷惑かな?」
「いえ、そんな事ないです! むしろそうしていただけるなら、本当に有難いんですが……!」
「良かった! それじゃ、行こうか?」


少し残念そうに言うティンに慌ててリタが返すと、彼女は明るい笑顔で彼に手を差し出す。


リタはその笑顔に、何だか今まで感じた事のない感情を感じた気がした。
暖かいような、くすぐったいような。妹を大切に想う気持ちとは、似ているようで違うような。


しかし差し出された手を見て、それを断ち切り慌てて立ち上がる。



「はい! よろしくお願いします!」



ティンに助けを借りながら立ち上がり、リタも笑顔で返すと、何故か彼女には少し苦い顔をされてしまった。
リタがその理由が分からずに首を傾げていると、彼女は頭をかきながら少し言いにくそうにこう言うのだった。


「……うーん。……あのさ、短い間とは言え一緒に行くんだからし、それはやめない?」
「え?」
「敬語。あたし達見たところそんなに歳も違わなそうだしさ。……ね? あたしそういうのってあんま慣れてなくてさ」
「あなた……いや、君がそう言うなら……。
……じゃあ、改めてよろしくね、ティン!」


リタが再び笑顔で手を差し伸べると、今度こそはまた明るい笑顔に戻り、リタの手を握り返すティン。


「うん、よろしくね、リタ! 妹さんの為に、絶対『月の雫』持って帰ろう!」
「うん!」





こうして、先行き不安な道行くリタに、心強い仲間が出来たのだった。





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