最近の僕は多分、おかしい。
絶やしたことのない作り物の笑顔と態度、その裏での大抵の事への無関心さ、常に保ってきた他人への一定の距離。
それが今までの僕だったし、別にそれを変えようとも思っていなかった。
だけど最近の、特に彼女の前での僕は、それら全部を失っている。
両親の前でさえ崩さなかった作り笑顔を作っていない、だけど楽しくて自然と笑っている気がする。
大抵の事は冷めた目で見ていたのに、彼女の一挙一動に興味津々。
彼女の事をもっと知りたい、彼女に僕を知って欲しい。近付きたい。
きっと僕は、彼女に恋をしている。
〜恋愛契約〜
恋愛経験は、ない訳じゃない。
親が有名人で、まぁ自分で言うのもなんだけど成績優秀、外面の良さは完璧、顔も良い方だと思ってる。
これだけ条件が揃っていれば、近寄ってくる女の子はたくさんいた。
その中から僕も適当に、ある程度の家柄で品行方正なお嬢さんを選んで、お付き合いする。
別にその条件なら割と誰でもよかった。
大事なのは「両親が気に入るか」と「世間から見てどうか」ってとこ。
変わった相手を選んでわざわざ波風を立てるのは面倒だし、そこまで価値があると思える人なんていない。
人生と言う名の大きいパズルを完成させる為の、一つのピースに過ぎない。それが僕にとっての、恋愛。
結婚も似たようなイメージで、僕にとっては恋愛とか結婚とかなんて、その程度だった。
でも、今のこれは、今までのものとは違う。
彼女は家柄がいい訳でも、両親が気に入りそうな訳でもなくて、まして世間からは確実に冷たい目で見られる。
そんな彼女なのに、ただ一つの条件が僕を恋に落とした。
彼女は僕を見てくれる。
今まで僕の周りにいた人間は、大抵二種類に分けられた。
父上の権力を恐れて僕を腫物みたいに扱う奴らと、逆に利用しようと取り入ってくる奴ら。
たまに、父上の事は気にしていないという風に接してくる人間もいた。
だけど人間は表と裏を使い分けるのが得意な生き物だ。
適当に付き合ってるだけの人間の裏の顔を僕が見抜ける訳ないし、他人の事をそこまで深く知ろうとも思わない。
大体表の顔を信じて後で裏切られるよりも、最初から誰も信じない方が簡単で楽に決まってる。
だけど。
特殊な環境で生まれ育った彼女には、僕の父上がどれだけ有名だとか、権力を持っているとか、そういう事は一切関係ない。
むしろ知らない。彼女にはこの研究所の世界が全てで、外の世界の事は一切知らない。
それを知っているからこそ、今まで貫いてきたスタイルなんか嘘みたいに、彼女だけはあっさり信じられてしまう。
それに気付いてからは、彼女が愛おしくてしかたなかった。
話したい。もっと色んな表情を見たい。触れたい。彼女の事を知りたい。
そして、僕の事を知ってほしい。
「レア」
名前を呼ぶだけで、嬉しくなる。
「……なんで、しょうか……」
弱々しい声、だけど確かに返ってくる返事は、彼女がここに存在している証。
「ねえ、隣に行ってもいいかな」
「……そんな……私なんかに……あなたが、許可なんて……取らなくても……」
相変わらず卑屈レベルな謙虚さの彼女だけど、それもこれも、全部愛おしくて。
僕はやっぱりおかしくなってしまったんだと思う。
だけどずっとこのまま、おかしいままでいい気がする。
鍵を開けて扉を開けて、震える彼女の傍に寄ると、気付いたら彼女を抱きしめていた。
彼女に繋がれた鎖が音を立てる。
彼女は一瞬びくりとしたけどすぐに動かなくなって、僕になされるがままだ。
小さくて、痩せていて、髪だってボサボサで。弱々しくて、力を入れすぎたら壊れてしまいそうで。
僕が今まで上辺だけの愛を囁いてきた女の子達の中で、誰より酷い状態だけど、僕は今までで一番満たされている気分だった。
……と、ずっと黙っていた彼女が、何故か泣き始めてしまった。
ひっく、ひっく、と、泣いている時独特の嗚咽が聞こえる。
僕は慌てて彼女を離して、彼女の顔が見えるようにした。
やっぱり彼女はぼろぼろと涙を流して泣いていて、僕は充実感から一転、困惑と不安が入り混じった気持ちになった。
「どうしたの? 痛かった、とか?」
「ええっと、じゃあ。僕の服についてる薬品の臭いで、辛いこと思い出させちゃったとか。
あ、や、ごめん、実験で君に酷い事してるのは自覚してるんだけど、その……」
「それとも……」
思いつく限りの彼女が悲しむ理由を挙げてみたけど、そのどれにも彼女は首を横に振ったまま泣き続けた。
彼女には、泣くよりももっと色んな、僕が見たことのない、むしろ誰も見たことのない表情を、見せて欲しいのに。
いよいよ本当にどうしたらいいか分からないけど、本当は後一つ、思い当たる理由があった。
でもそれは口に出したくなかった。
本当だったら嫌だけど、それ以上にそうなんじゃないかという気持ちが強すぎて、認めたくない、なんて。
本当にいつもの僕らしくない。本当に、恋は人を狂わせる。
「……わっ、私っ、は! 私が嫌いだし、こんな私をつくった他の研究員さんも、あなたも!
人間はみんな嫌いなんですっ……!」
だけど彼女の口から出た言葉は、僕があえて口に出さなかった事で。
予想はしてた。なのに、返す言葉が見つからなかった。
いつも言いたいことも言えずに俯いていた彼女から、こんなにはっきりした拒絶の言葉が出るなんて、ある意味誰も見た事ない姿だけど。正直見たくなかった。
僕が言葉を探している間にも、彼女は泣きながら思いを吐き出し続ける。
「……人間は……私に……痛いことばっかり……します……。
だから嫌いだし……生まれた意味なんか……分からない……自分の事も……好きになんか……」
だって僕は、彼女の事は好きだけど、だからと言って彼女の言う「痛いこと」をやめることも出来なかった。
いくら僕が恋に狂ったとしても、いくらくだらない実験だろうと、日常を急には変えられない
別にそれに罪悪感を感じている訳じゃないけど、今の僕には、彼女が泣いている時黙って抱きしめてあげる事しか出来なかった。
……今の今は、できないけど。
「あなたも……私に痛いことを……します……。
なのにどうして……こんなことするんですか……?」
「それは、」
「私は……私は……う、うぅっ……」
彼女にしては珍しく意思表示をしてきたけど、やっぱり慣れてなかったのか、最後はまた、ただ俯いて泣くだけになった。
目から零れた涙が、病的に白い脚へ落ちる。
透けて見える血管をなぞって、更に地面へと滑り落ちていった。
……彼女は。戸惑っているのかもしれない。
今まではゴミみたいに扱われてて。僕だって同じようにはしなかったけど、それを暗黙の了解にしていた。
なのにいきなりこんな風に接したら、そりゃあ訳が分からないよね。
きっと彼女も僕と同じなんだ。
誰かを信じて裏切られたくないから、最初から信じない。僕の事が、信じられない。
だったら。
僕が彼女に対してそうであったように、彼女も無条件で僕を信じられる条件が、あればいい。
……もしもないなら、作ればいい。
「……そうだよ、人間は異質な物を嫌う生き物だからね。
きっと世界中の誰だって、ここの研究員達みたいに、君に酷いことをするよ」
「……」
自分で分かっていても、改めて言われるのが多少なりともショックだったのか、彼女は顔を上げようとしないままだ。
聞こえているならそれでいいので、僕は話し続ける。
「だけど僕は君が、好きだよ」
初めての本気の愛の告白は、驚くほどさらっと口から出た。
俯いていた彼女はばっと顔をあげて僕を見るけど、何を言っているのか分からないって顔をしてる。
濡れた瞳をぱちぱちと何度も瞬かせているせいで、目に溜まっていた涙があふれて零れた。
「僕なら君を愛してあげられる。世界中から嫌われる君を、愛してあげられる。
だから君も、僕を愛してよ」
「な……」
理由が分からないのなら、理由を教えてあげる。
だけど全部は教えてあげない、今は彼女にとって分かりやすい部分だけ。
そっちの方がきっと彼女も混乱しない。
「僕だけを愛して。君が僕だけを見て、僕だけを愛してくれるなら、僕も君を愛してあげる」
「ど……どうして……」
「僕は、無条件で信じられる人が欲しいだけだよ。
君は僕以外に愛してくれる人がいないから、僕を選ばざるを得ない。
これってどんな愛の言葉よりも、信頼できる絆でしょ。素敵じゃない?」
信じられる、というより、信じざるを得ない。
僕だって本当は彼女しか愛せない理由はあるけど、今それを言ったところで信じてもらえる気もしないし、黙っておく。
嘘は言ってないし。
これは、きっと普通の愛の告白じゃない。
でも、少し強引だけどこれが、きっと彼女を振り向かせられる最良の方法。
「……はい……」
「でしょ? ねえ、だからさ」
「はい……」
相手が好きだから付き合うんじゃない。相手じゃなきゃ駄目なんじゃない。
僕らは、お互いにお互いの「条件」に恋をする。
だけどその「条件」が守られる限り、僕らはずっとお互いを好きでいられる。
……そう、これは恋愛という名の契約だ。
「……ねえ、目を瞑ってくれる?」
「……はい……?」
「人間の恋人同士の、代表的な愛情表現だよ。いいから、ね」
僕に急かされて、恐る恐る目を閉じる彼女。
不安と、恐れと、ほんの少しの期待が入り混じった表情。
それは言葉にするととてもありきたりな表情で、だけど僕にとっては特別な表情。
彼女のオレンジ色の髪を片手で掬いながら、もう片方の手で自分の髪を、邪魔にならないよう後ろへ流す。
――僕も彼女に顔を近付けながら目を閉じて、僕らは初めてのキスをした。
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