「こんにちは、レア」 今日もあの人は、私に話しかけてくれる。 どうしてだかあの人は、最近私に前より話しかけてくれるようになった。 恋愛契約 〜冷たい温かさ〜 実験の話とか、そういう話じゃない。今みたいに「こんにちは」とか、今日のご飯はなんだとか。 私にそんな、普通の人間にするみたいな話をしてきたのは、彼、ヴェスタさん、が初めてだった。 それにヴェスタさんは、実験以外では私に痛い事をしない人だ。 ヴェスタさんはここの研究所の人間達の一番偉い人で、だから一番嫌な人だと思ってたけど、そうじゃないのかもしれない。 でも、実験とかになると他の人と同じように痛い事するから、やっぱりよく分からない。 人間も自分も何もかも嫌いで、消えてしまいたいと思うのには変わりない。 でも、でも、 「今日も変わり映えしない食事だけど。ごめんね」 「寒くはないかな? 毛布一枚くらいだったら増やせるよ」 何故か彼は、私に優しくする。 こんなに私に優しくするのも、もちろんヴェスタさんが初めて。 他の人達と一緒に私の実験をしてる時は、他の人達と同じくらい冷たい目をしてるのに。 なのに最近は表情すらも違う。 今までは、笑顔だった。実験以外で他の人達と話してる時と同じ、綺麗な笑顔。 ヴェスタさんは、実験の時以外はよく笑ってる。私の前でも笑っててくれた。 私はそれでもほっとした。 他の人達は、実験以外でも冷たい目で私を見たから。 だけど今はその笑顔とも違う顔。実験する時みたいな冷たい目じゃなくて、実験以外の時みたいな笑ってる顔でもなくて。 今までみたいにすごくにこにこしてる訳じゃないのに、不思議と落ち着く。ヴェスタさんのこんな顔は、初めて見たかもしれない。 どうしていきなり、私の前でだけ、そんな。 前までそんなことなかったのに、本当に、いきなり。 最近は何故か口調も変わった。他の人と話している時と、私と話している時で、違う。確か、敬語、というやつ、じゃない。 他の人達も、私に対してだけ敬語じゃなかった。 敬語というのは、相手に対して丁寧な気持ちで接する時に使う言葉らしいので、私なんかに丁寧な気持ちで接するのは無駄だと思われてるのだと、思う。 でも、何故かヴェスタさんのは他の人とは違う気がした。 そういう乱暴な感じじゃなくて、逆に、なんと言ったらいいんだろう。 そう、まるで、まるで、私だけ良い意味での特別扱いをされているような気がして。 「どうして?」と思うのに、言いたいのに、何故か言えなくて。 「……レア?」 「……」 私はその「特別」を少し嬉しい、とも思っていた、から。 その二つの気持ちが混ざるせいで、上手く言葉にできない。 分からないことが多すぎて、私の頭は限界で、私はただただいつもみたいに、俯いて泣くことしかできなかった。 冷たい鉄の床を見つめながら、そこに涙が落ちていくのを、自分じゃ止められない。 と。 ギイイィ、と、鉄の扉が開く音がした。 ヴェスタさんが近づいてくる。 私は反射的に身をすくめた。また叩かれる、と思った。 だって私が泣いていると、いつだって誰かが「鬱陶しい」と言って叩いたから。 でも、違った。叩かれなかった。 代わりに、 「……!?」 温かかった。 恐る恐る顔を上げると、水色のYシャツがあって。 研究員の人が全員来てる白衣も、灰色で長い髪も、銀色の縁の眼鏡も、その下の青い目も。こんなに近くで見るのは初めてで。 これが、「抱きしめられる」という状態なのだと気付くのに、とても時間がかかった。 すごく、温かい。 ヴェスタさんが持ってきてくれるスープよりも。すごく。温かくて、気持ちよくて。 涙も止まってしまうくらいびっくりして、何を言えばいいかわからなくて、ヴェスタさんも何も言わないし、むしろずっと静かなままの方がいい気がして、ずっとこのままでいられたらいいのに、とか。 何も考えられなくて、一瞬頭も心も真っ白になったけど、理解したらむしろ色んな事ばかり頭の中をぐるぐるして、でもどちらにしろ余計な事を考えなくていいなら、それはいいことなんじゃないかとか。 一瞬だったのか長い時間だったのか分からないけど、ヴェスタさんが離れていった時は何故か顔が上げられなくて、また扉が開く音を、ずっと床を見つめながら聞いていた。 「……じゃあね」 私がやっと顔を上げた時には、既にヴェスタさんは背を向けて檻から離れていくところで、ヴェスタさんがどんな顔をしてるのかを見ることは、できなかった。 それよりも、私はあの温かさが離れていくと同時になんだかとても怖くなって、ヴェスタさんが嫌いになりそうだった。 いや、人間は元々嫌いだったけど。でも、ヴェスタさんは好きになれそうな気がしてしまって。だからこそ、嫌いだった。 こんな温かさ、知りたくなかった。知ってしまうと、もっともっと欲しくなるから。 NEXT BACK |