冷めたスープ、硬くなったパン。絵に描いたような質素な食事が乗ったトレーを手に、僕は歩を進める。

向かうは、彼女の「部屋」。……檻、とか牢屋、って言った方が正しい気がするけど。
それはともかく、僕は彼女にこの質素な食事を届けるべく自ら彼女の元へと足を運んでいた。

こんなの部下にやらせればいいのに、というかいつもは部下がやってるんだけど、今日は無理矢理言って代わってもらっただけ。
とにかく主任の僕がわざわざこんな事してるのは、もちろん彼女への興味から。
この食事は軽い口実って訳。彼女を知る為の。





恋愛契約
〜白〜


暗い牢屋の中の、明るいオレンジ色の髪の毛、白い服に白い肌。
その光景は異様であり、しっくりくるようでもある、不思議な光景。

薄暗い牢屋の中にうずくまっていた彼女は鉄格子越しに僕を見て、不思議そうな顔をした。
まぁいつもと違う人間が来たから、だろうね。
僕が小さな窓から一言「どうぞ」と言いながらトレーを差し出すと、彼女は小さな声で「……ありがとうございます……」とだけ呟いた。

だけど食事を運び終わってもここから動かない僕を見て、不思議そうな顔で「あ、あの……?」と付け足す。


「気にしないでください」


僕がそう返したのを聞いて、彼女はそれ以上何も言わずに、むしろ言えない、の方が正しいのかも。食事に手を付け始める。
って言ってもずーっと見られたままはやっぱり気になるのか、ちらちらと僕を見ている。
しばらく彼女を繋ぐ鎖の音と、食器の音だけが響いて。
その間彼女はあんまり気乗りしない様子でスプーンを口に運び、僕はずっとそれを見てた。


「……その、食事」
「……?」
「どうですか? あなたから見て」
「ど、どう……というのは……?」
「おいしいとか、まずいとか」

見てるだけじゃ無駄に時間が過ぎるだけだし、適当に質問してみた。
あんな食事内容じゃ、答えなんて分かりきってるけどさ。何でもいいから聞いてみたかっただけ。
すると彼女はしばらく悩む素振りを見せた後に、おずおずと口を開いた。


「おいしい、とか……まずい、とかは……。私には……よく分かりません……。
ただ、私が感じているのは……。『冷たい』という事だけです……」


あぁ、なるほど。毎日こんなのばっかりの彼女には、それも分かんないのか。
まぁそれもそうか。せいぜいスープの具やパンの種類が変わるだけの、ほぼ毎日同じメニューじゃね。
加えて彼女の食事は、研究員の食事が終わってからようやく運ばれる。
当然すっかり冷え切ってる訳で。


「……あっ……ち、違うんです、その……別に不満がある訳では……!」


……と、僕が一人で納得してると、彼女は急に慌てだした。
多分、僕達の不興を買えばまた何かされるんじゃないかって思ってるんだろう。
別に僕はそんな趣味はないし、今までも一度もそんな事はしてないんだけど。それどころか、昨日は助けてあげたはずなんだけど。

……ま、彼女にしてみれば研究員なんて皆同じで、全員が怖いんだろうね。
「いえ、聞いてみただけですから」と僕が作り笑顔で返すと、彼女はほっとした表情で一つ息をつき、また食事へと戻った。やっぱり、あんまり気乗りしてない手付きで。


その日は、それっきりまた鎖の音と食器の音が響いてただけだった。
分かったことは、彼女は食事があんまり好きじゃなさそうだという事。





次の日、僕はまた彼女の食事を手に、彼女の様子を見に行く事にした。
ただし、今日の食事からは、白い湯気が立ち上っている。
なんてことない。科学技術だけはやたら発展しているこの国は、便利なものがたくさんある。
電子レンジと、オーブン。それを使っただけ。


「こんばんは」


直接触ったら火傷しそうな程度には熱いスープと、パンを乗せたトレー。適当な挨拶と共に、彼女の前に差し出す。
彼女は相変わらず僕の声にびくりと驚いたけど、今日は湯気を立てているものの方が気になるみたいだ。
さっきから、あんなに嫌そうだった食事をじっと見つめている。

「あ、あの……これは……」
「熱いから、気をつけて食べてくださいね」

内容は昨日と代わり映えしないのに、温度が上がっただけで、彼女には未知の物として捉えられているらしい。
おずおずと食器に手を伸ばして、そしてすぐに手を引っ込める。やっぱり昨日まで冷たい物しか触っていない彼女には、熱すぎたようだ。

「はは、だから気をつけてくださいって言ったじゃないですか」
「すっ、すみません……!」

僕が笑いながら言うと、彼女は自分が悪い訳でもないのに慌てて謝った。多分謝り癖、がついてるんだろうね。
僕はむしろ、その反応だけで少し手間をかけたかいがあった、って思ってたのに。
彼女の動作一つ一つが、新鮮で興味深い。

熱い食器に触ってしまって思わず手を引っ込める、なんて動作自体は何でもない動作。日常にありふれている。
ただ、彼女がやると、動物が人間の作った物に初めて触れて戸惑っているようだ。
……実際、半分は動物だけど。


彼女はしばらくスープの入った食器の方を見つめていたけど、ある程度冷めるまで触れないと気付いたのか、パンの方に手を伸ばした。
流石にパンが熱すぎて触れなくなる事はあまりない。彼女は壊れ物を扱うかのように、両手で慎重にパンを持ち上げて、そして、


「……っ!」


ゆっくりと、口に運ぶ。
その時の彼女の表情と言ったら!
この間とは違う方向で新しくて、思わず僕も驚いちゃったよ。
まぁ僕は、そんなに分かりやすく顔には出さないけど。

口に入れた瞬間、今まで見たどんな時よりも目を見開いて、そして頬をうっすら赤く染めて、じっと手元のパンを見つめていた。
恋に落ちた瞬間の女の子の表情に、ちょっと似ていたかもしれない。
……なんでそんな事分かるかって? ま、僕にも色恋沙汰の一つや二つあったって事だよ。昔の事だけどね。


そんな事より、今は彼女の事だ。少し僕が驚かされていた間に、あっという間にパンは彼女の手元から消えていた。
そして今の彼女の手には、程よく冷めたスープの器。
彼女はまたおずおずとスープを口に運び、いつもよりかは随分幸せそうな顔をしていた。

あっという間にスープの器も空になる。昨日と比べれば、かなり早いスピードで。
食器を空にした時の表情だって、昨日とは大違いだ。


「どうでしたか?」
「あっ、あのっ……! その……!」
「はい」

自分の感情を上手く言葉に出来ないのか、彼女は頬を赤くしたまま、困ったように言葉を探して慌てている。
僕は彼女のそんな様子までもがなんだか楽しくて、返事だけして待つ。

「これ、あなたが……作ってくれたのでしょうか……?」
「いえ、僕が作った訳じゃありませんよ。ただ、少し熱を加えただけで、中身はいつもと同じです」

……電子レンジとオーブンで、だけど。まったく、文明の利器様様だ。
この国の電化製品だけは、素直に好きだ。
忙しい僕としては、時間は短縮できるならなるべく短縮したいところだからね。

「それでもっ……! あ、ありがとうございますっ……! 私、私……!」
「そんな、大した事はしていませんから」

必死に僕に感謝を伝えようとしている、その表情。
そして高級シェフの料理でもない、普通の安っぽい食事を、温度一つ変えただけで、あんな表情が出来る。
ああ、彼女をもっと見ていたい、色んな彼女が見てみたい。


でも、きっと僕が一番好きなのは、


「あなたは……その……。優しい……のですね……。
私、なんかに……気を遣ってくださるなんて……」


彼女の、この笑顔な気がする。
よく言う、「満面の笑み」とか、「ひまわりみたいな笑顔」とか、そういう類では決してない。
いつもいつも今にも泣き出しそうな顔をしているから。笑顔と言うより、今まで泣いていた子供が泣き止んだ時の表情に近いのかもしれない。

だけど、そんな笑顔だからこそ……裏が、ないって言える。

完璧な笑顔なんて、逆に見慣れすぎて嫌いだ。
そして僕は、そういう笑顔を貼り付けて毎日過ごしているからね、余計。
いつも暗い顔してたからこそ小さな笑顔でも新鮮だし、普通の事を何も知らない彼女だからこそ、あんな表情とかができるんだろうな。
そう、彼女にとっては、全てが、

「……珍しい」
「……は……は、い?」
「……あなたの名前の意味、ですよ。レア。精霊語で、『珍しい』とか『希少な』という意味です」
「……」


……多分な皮肉を含んで付けられたのであろう、彼女の名前。
恐らく、彼女自身もその名前に込められた揶揄はなんとなく悟ったのだろう。さっきまでとは打って変わって、いつものように暗い顔をして俯いてしまった。

確かに彼女の存在は、あらゆる意味で珍しい。
まず外見からして、頭の上に猫と兎の耳がついてる女の子なんて、世界中探しても多分ここにしかいないだろう。

……だけど僕はそんなつまらない意味で言ったんじゃないし、彼女にそんなつまらない表情をさせるつもりでもなかった。


「僕は、あなたにぴったりだと思いますよ」
「そう、ですよね……。やっぱり私は……異常な存在ですから……」
「そういうつもりで言ったんじゃありませんよ。
僕は、あなたが真っ白だから……そう思ったのです」

僕の言葉に、顔を少し上げてきょとんとしている彼女。

「真っ白な人は、珍しいですから」
「私……そんなに綺麗な存在じゃ……ないと思います……」

だけど僕が言葉を続けると、ゆるゆると首を横に振った。まぁ、きっとそんな感じの反応が返ってくるだろうと思ってたけど。
彼女は自分の存在が、嫌いなみたいだ。奇遇だね、僕もなんだ。

……だからね、教えてあげるよ。

「俗世にまみれてないって事ですよ。君は誰よりも公平に、世界を見れる」
「……私……。私と……私をつくったこの世界が、嫌いです……。公平に、なんて……」
「じゃあ、そうですね……。少なくとも、僕の事は見てくれる。そうでしょ?」
「え……?」


彼女なら、レアなら、僕を「僕」として見てくれる。そうだ、ディスタ・クルールの息子としてじゃない、僕だ。
まいったな。とっくの昔にそんなのありえないって諦めて、この世界をそれなりに楽に渡る方法を学んだのに。
なのに、こんな形で今更それが叶うなんて。

……いや、今更なんかじゃない。だってこうして僕は出会えたんだから、彼女に。

「あの……? すみません、それは……どういう意味、でしょうか……?」
「……きっと、その内分かるよ」

出来れば、彼女には分かって欲しくないけど。でも、きっといつか知ってしまう。
だから、せめて、


「また、明日会おうね。レア」


今しかやれない事を、やれる事を、やるんだ。





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